第四話:ゲリラの天才、再び
彭越は、黄河のほとりを根拠地にして、またも梁の地を狙いはじめた。

どうしても、自立するための立脚地が欲しかったからである。


一方、彭越とは違う方角である西に逃げた劉邦は、と言うと…

それは見るも無残であった。

雎水は数万の漢軍の死体で埋まり、流れが止まり、

(けいよう)では、項羽軍に二重三重に囲まれ、絶体絶命だった。


しかし、ここで劉邦を救ったのが、ほかならぬ彭越である。

彭越は巧妙なゲリラ作戦を立て神出鬼没に梁の地に現れ、梁の十七城を手に入れた

なぜ、こんなにすぐ城を手に入れられたのだろうか。

実は、劉邦が彭越に援軍を送っていたのだ。

劉賈(りゅうか:劉邦の従兄)と盧綰(ろわん:劉邦と同年同日に生まれた幼馴染)の二万の軍勢を加勢させたのである。

彭越率いる、総勢四万のゲリラ部隊である。強いに決まっている。

彼は、項羽の本拠地から遠く陽まで運ばれる楚の兵糧をほとんど奪い、

漢陣営に横流ししたり、焼き払ったりした。

項羽はいつも、自分でほぼ全軍を率いていたため、

兵糧の補給路は老弱な者が担当し、守備兵も足りず、

まるで彭越に「奪って下さい」とお願いしているようなものだったのである^^;。


この彭越の行動は、項羽を怒らせた。

それ以上に、明日の飯も危なくなってきたのである。

項羽は陽の囲みを解き、彭越抹殺の為地響きをたてながら梁に向かった。

いくら彭越といえども、楚正規軍にかなうわけがない。

しかも指揮官は鬼神かと見まちがうほどの項羽である。


またも彭越は遁走した。

城や領地を捨てて、配下の兵と共に遁走した。遠く穀城(こくじょう:梁の遥か北方300Km)まで逃げた。

項羽はあっという間に梁の地を取り戻した。

彭越は取り逃がしたものの、項羽の大勝利かに見えた。

が、囲みを解いた陽では漢軍が蠢動し、たちまち楚の成皋城(せいこう)を落とした。

成皋の守備の任に就いていた曹咎(そうきゅう)は自殺した。


結果的に見て、彭越の活躍が瀕死の劉邦を救ったのである。


そのころ項羽は梁の外黄(がいこう)

得意芸になってしまった生き埋めを外黄市民に対してやろうとしていた。

しかし一人の少年が項羽に、

「僕たちは項王が来るのを待ち望んでいました。僕たちは別に楚に歯向かっていません。

彭越がそうしろと言ったからです。

本当に項王を裏切ってはいません。脅されて仕方なく歯向かったのです。

…梁には外黄だけがあるわけではありません。

残りの城も、外黄での生き埋めの噂を聞けば、きっと堅く篭城するでしょう」

と、当たり前の道理を説いた。

しかし項羽は素晴らしい道理を聞いたかのように感動し、

全ての外黄市民を自由にし、少年を褒め称えた。


外黄の少年に言われて初めて気づくのは、もう末期症状だろう。

もう項羽の配下の者は誰も献策すらしなかったのであろう…。

項羽だけの意見で全軍が動いていたのである。


梁の地を押さえた項羽は、再び陽に向かった。落ちた成皋城を取り戻すためである。

しかし、項羽はまたも全軍を率いて行ってしまった為、彭越の出番がまたやってくる。

項羽のいない梁など、彭越にとっては取り得だった。

彼は、たちまち穀城から出撃し、またもや梁の地でゲリラ活動をし、

項羽の本拠地・彭城から送られてくる糧秣をすべて奪った。


そのころ、はるか西で劉邦と対峙している項羽は、戦では絶対的優位に立っていた。

劉邦は胸に重症を負った。

しかし彭越の活動で飢えに苦しみ、結局漢楚は天下を二分することで講和に達した。

またもや、彭越は劉邦を救ったのである。


講和が成立し、項羽も、劉邦も、自分の領国に帰ろうとしていた。

しかし、漢の大軍師張良と陳平は

「いま、弱っている項羽を追撃して殺さねば、後であなたが殺されましょう」

と進言し、劉邦はこれを採用した。

劉邦は、単独では心細いので、「共に項羽を討とう」という檄文を彭越に送った。

しかし、彭越は一向にやって来る気配が無い。


彭越は、自分の功績の大きさに気付き始めていたのである。

結果的には自分が劉邦を救い続けたということを、この段階になって気づいたのであろう。


そして、その功績に対する恩賞を貰っていないことにも気付き始めたのである・・・・・

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