『史記』に於ける異聞


現在私たちが見ることが出来る陳寿が著わした正史『三国志』には膨大な注釈が付いています。

これは南朝宋の人、裴松之(はい・しょうし/字は世期)が勅命を受けて注を付けたものです。


彼には息子がいました。名は裴いん(はい・いん/字は龍駒)といいます。

彼もまた注釈者となり、現存最古の『史記』注釈書である『史記集解』を著しました。

その後、司馬貞が『史記索隠』を、張守節が『史記正義』を著し、膨大な注釈を付けました。

今回は彼らの努力の結晶である『史記』異聞を拾ってみたいと思います。



『史記』において不思議なのは、歴史上に燦然と輝く功臣達の字が殆んど伝わっていないことです。

名・字ともに伝わっているのは、陳勝(字は渉)、呉広(字は叔)、彭越(字は仲)、呂雉(字は娥く)、

張良(字は子房)、劉交(字は游)、劉喜(字は仲)、劉邦(字は季)、項籍(字は羽)、項纏(字は伯)、

くらいでしょうか…。


しかし、『史記』の注釈の異聞の中には字らしきものがチラホラ存在します。

例えば・・・・・・・・・

@叔孫通。陸賈『楚漢春秋』では叔孫何と記されています。別名の可能性もあり。

A曹参。『史記集解』では敬伯という字があると紹介されています。

B恵帝張皇后。皇甫謐の『列女伝』によればという字があるといいます。

C文帝竇皇后。皇甫謐の『列女伝』によれば猗房という字があるといいます。
 ・
 ・
 ・
 ・

探せばいくらでも出てきそう…。

もー、胡散臭くでしょうがないですね。 (^-^;;


さらに胡散臭い異聞があります。

竇姫の父は早くに亡くなっているのですが、「死因は溺死」と紹介されています。

「竇姫の父は幼くして秦の騒乱に遭い、身を隠して釣りをして生計を立てていたが、

深い泉に落ちてしまい溺死した。」     ・・・・・・??

もー、やりたい放題ですね。(´∇`;;)


陸賈『楚漢春秋』だけは同時代に書かれた書なので信憑性は高いと思われます。

ただ、後世の人が手を加えたという説もあり、何がなんだかもう管理人には判りません。m(_ _)m


戻りましょ