第二話:顔役項梁
項梁と甥の項羽は呉に逃亡した。

逃げたのは、秦政府の目をくらますといった理由もあったが、

項梁が人を殺したので仇を避けて呉に逃げた、というのが真相である。

弟の項伯も人を殺して逃亡しており、

楚人はカッとなると何をしでかすか分からないという人種らしい。^^;


項梁は、漂泊の逃避行で様々なことを項羽に教えた。

始めは、貴族の子弟として恥ずかしくないよう、文字を教えた。

しかし項羽は、「叔父上。文字なんて、名前がかけりゃ十分ですよ。」と言って

途中でやめてしまった。


仕方が無いので、項梁は剣術を教えた。

しかし項羽は、「退屈ですな。こんなことをして何の意味があるんです。」と言って

またもや放りだしてしまった。


これには項梁も呆れ、「お前は一体何がしたいのじゃ!!我儘ばかり言うでない!」と怒った。

項羽は、「叔父上、私は剣術のような一人を相手にするものは学びたくありません。

万人を相手にするようなものを学びたいのです。」
と大きくでた。

項梁は、「(むっ・・、こいつガキのくせにでかい事を言いやがる。だが、見所があるのは確かだ。)

と思い、喜んで兵法を教えた。


しかし項羽はまたも、「う〜ん、兵法も概略を知ってしまえば退屈極まりないですな。」と言って

兵法を極めようとはしなかった。

これには項梁も参ってしまい、これ以降、項羽に勉強を強いるのはやめた。


そんなこんなで、この二人は呉の会稽に着いた。ほんとかよ・・・

会稽では項氏は名族として知られており、項梁があの項燕将軍の忘れ形見であることも知られていた。

人々は項梁を尊敬し、争って配下になろうとした。

呉の役人達も例外ではなかった。

秦帝国の終わりを見抜いていた具眼の役人達は皆、項梁と誼を結んでいた。

皆、「秦帝国が崩れれば、必ず項梁が立ち上がるだろう」と思っていた。

項梁は次第に実力を持ち始め、遂には会稽郡の役所に出入りして郡守の殷通(いんとう)と懇ろとなった。

そして、会稽で大掛かりな葬式や役があると、必ず項梁が主催者となった。

項梁は密かに兵法を応用して葬式や役を取り仕切り、

挙兵するときに必要な人材を抜け目無く探していた。

項梁の秦への復仇準備は着々と進んでいたのである。


そんなある日、始皇帝が大軍を率いて会稽にやって来た。
(この始皇帝、本名は趙政、という男は大変な旅行好きだったので、中国全土をくまなく旅した。
その中国巡遊の途中に会稽に立ち寄ったのだ。)


項梁は、項羽を連れて一緒に見物しにいった。

項梁「う〜む。あの野蛮人始皇とかいう男のせいで、我が祖国と父上を失った。今に見ておれよ!!

・・・羽よ、お前も悔しかろう。お前のお爺さんはあやつに殺されたのじゃ!!」

項羽「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

項梁「・・・?  どうしたんだ?」



項羽俺はあいつにとって代わってやる!!

項梁「  煤i ̄□ ̄;  おいっ!お前なんてことを言うんだ!!

役人に聞かれでもしたら、我等は皆殺しになるぞ!!

めったなことは言うな。分かったな!!


項羽「 ・・・はい。ぐすん

・・・・・・・・・・・・・・・・・


この一件があってから、項梁は甥を見直した。

「こいつは見所がある!」と確信したからである。

その後、項羽は180p以上の身長と怪力、そして才気が呉中に知れ渡り、

呉の若者はみな項羽に一目置くようになった。

項梁が蔭で噂を広めていたに違いない。


こうして、項梁と項羽は呉の蔭の支配者となっていったのであった・・・

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