「挽歌」の由来 


干宝が著した『捜神記』という本は事実を重んじる史書の類ではありません。

よって、「こんな話あるわけないだろー」とか、「明らかに歴史的事実に反しているぞ」等の反響が予想されます。

肩の力を抜いて奇談小説でも読むような気持ちでお付き合い下さいませ。^-^





古来から挽歌は葬儀の際の音楽であり、霊柩車の縄を引く者たちが唱和する歌である。

挽歌の歌詞には「薤露(かいろ)」と「蒿里(こうり)」の二つがあり、

いずれも田横の門弟の作品である。

田横が自殺したとき、門人たちが悲しんで作ったとされる。


「薤露」とは、「人の一生は薤(にら)の葉っぱに宿る白露のような儚いもので、消えやすい」

という意味を込めた歌であり、

「蒿里」とは、「人間が死ぬとその霊魂は蒿里山(泰山の南にある)に帰ってゆく」

という意味が込められている。



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『捜神記』での記述はたったこれだけである。が、『捜神記』にしてはまともな記述である。

真実かどうかは別として、田横という人間が

どれだけ多くの人の心を掴んでいたかが解かる伝説でもある。

司馬遷も感嘆するその節義に感服!



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