第九話:韓信を殺す


紀元前200年、韓王信が匈奴に降伏し、劉邦自らこれを討った。

平城で匈奴に包囲され苦境に陥ったが、陳平の秘策で難を脱した。


その間、蕭何は長安で王宮「未央宮」(びおうきゅう)を造営していた。

蕭何は未央宮を壮麗なものにした。


未央宮が完成したとき、ちょうど劉邦が長安に帰還した。

劉邦は完成した未央宮をみて怒り蕭何を呼び出した。


劉邦 「丞相!この宮殿は一体なんだ?

ワシは項羽と天下を争い、いまだに民は苦しんでいる。

しかもまだ天下は完全に定まったわけではない。

それなのになぜこんな度を越えた宮殿を造る必要があるのだ!」

蕭何 「お言葉ですが、天下がまだ安定していないからこそ、

壮麗な宮殿を造る必要があるのです。

『天子は四海を以て家となす』と言います。

宮殿を壮麗にしなければ、天子の威厳を示すことはできません。

それに、今のうちに壮麗なものを造っておけば、

子孫達がこれ以上飾りたてることはできません。」

劉邦 「なるほどのう。

言われてみればその通りであるな。はっはっは!」


ちなみに現在でも未央宮跡地が残っている。

跡地は台地になっており、東西約136m・南北約138mで、

台地北部が少し高くなっているそうである。


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紀元前196年、陳が代で叛いた。

この反乱は、王位を追われた淮陰侯韓信との共同作戦だった。

が代で反乱を起こし、劉邦が討伐に代へ向かった隙に

韓信が兵を挙げ呂后と劉盈(後の惠帝)を殺す、という計画だった。

しかしこの計画は漏れ、呂后の知るところとなった。

呂后は韓信の才能を恐れ、丞相蕭何に相談した。

呂后 「丞相。淮陰侯の韓信が謀反の計画を立てているようなのです。

彼の態度を見ていると、いつかは叛くとは思っていましたが・・・。

相談できるのは相国しかおりませぬ。どうすればよいのでしょう。」

蕭何 「そうですか・・・。

では、こうしなされ。

すでに陳は敗れ誅殺されたことにして、諸侯・臣下達全員に参内させ

祝賀するよう命令します。

全員が参内すれば韓信も陳敗北を信じるでしょう。

韓信は仮病を使ってで参内しないでしょうが、私が説得すれば参内するでしょう。

そこを捕えればよいのです。」

呂后 「おお!

さすがは丞相。知恵者である。」


こうして蕭何は韓信を騙して未央宮に参内させた。

呂后は護衛兵に命令して彼を縛らせ、鍾室(鐘を吊してある部屋)に連れ込んで斬首した。

劉邦は陳討伐を終え長安に帰還すると韓信の死を知り、

彼の功績を思って憐れんだり、漢王朝の安泰を思って喜んだりした・・・。



総じて見ると、蕭何は韓信という天才の運命を握り続けた。

韓信を推挙して大将にしたのも蕭何であり、誅殺したのも蕭何であった。

しかし、蕭何は自分の創りあげた漢王朝という作品を壊そうとするものには容赦しなかった。

彼の厳しさが垣間見えると思うのは管理人だけだろうか。


そして、何よりも劉邦の運命も握り続けていた。

劉邦を一人前にしたのも蕭何。挙兵に漕ぎ付けたのも蕭何のお蔭。

兵糧を欠かさず人民を劉邦に親しませたのも蕭何。

何を語っても常に蕭何の影がちらつく。

劉邦は誰よりも蕭何に気兼ねしていたのではないだろうか・・・。



皇帝となり絶対的な権力を握った劉邦は蕭何を疑い始めるのだった・・・



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