第二話:変転


叔孫通が故郷の薛に戻ったときには、すでに反乱軍が薛を占領していた。

彼は儒者だというのに、しきりに薛の盗賊や豪族らと親交を結び、弟子達を困惑させた。


項梁軍が進軍してくると、薛は項梁軍の本拠地に定められた。

叔孫通は弟子百余人を従えて、項梁の配下となった。

項梁は楚の末裔である心を見つけ出し(くい)を都として住まわせるなど、一時強盛を誇った。

しかし、項梁は慢心して秦軍の章邯に敗れて死んだ。


叔孫通はに戻って懐王直属の配下となった。


項梁の死後、後継者争いが起こったが甥の項羽が首領となった。

項羽の部下の劉邦は秦を滅ぼし、項羽は西楚の覇王となり、劉邦は漢王となった。

項羽は名目上の君主懐王が煙たくなり、これを義帝と尊称し

「古の帝の領土は千里四方しかなく、必ず川の上流に居住したのです。」

とこじつけて南方の僻地長沙に左遷した。

この時、懐王とその家臣達はを出発して長沙に向かったのだが、

その一行に叔孫通はいなかった。


彼はから彭城に行き、項羽に仕えたのである。


項羽はすぐさま義帝を長沙に行かせたことを後悔し、

九江王英布・衡山王呉・臨江王共敖に命じて、長江上で義帝を暗殺させた。

義帝家臣団も残らず殺された。

叔孫通の判断は正しかったのであった。


しかし、その覇王項羽の行賞がまずかったために各地で反乱が起きてしまった。

特に斉では大規模な反乱が起き、項羽は直々にこれを討伐した。

武官ではない叔孫通が彭城で留守番をしていたことは言うまでもない。


漢王劉邦は項羽留守の隙を突いて、五十六万の兵を率いて彭城に突入した。

叔孫通は、「項羽の時代は終わった。劉邦が天下を取るに違いない。」と見抜き、

あっさりと劉邦に投降した。


彭城はあっけなく陥落し、漢軍による凄まじい略奪強姦が始まった。

劉邦自ら酒宴を開きどんちゃん騒ぎをしていたくらいだから、下々の者を取り締まれる訳もない。

結局、漢軍は激怒した項羽の三万の兵に破れ、瓦解した。

彭城の大敗戦で、父の太公と正妻の呂后は捕えられ、

穀水・泗水では溺死者が数万人でて、水は漢軍の死体で流れが止まった。


しかし叔孫通は劉邦に従って西へ逃げた。

始皇帝、二世胡亥、項梁、項羽、義帝心と主人を次々と変えてきたが、

叔孫通は劉邦を見捨てなかった。



叔孫通は劉邦に天下を取らせようと思ったのである・・・



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